序文
「人物のイラストを描きたい」 そのモチベが断続的に湧いてきては消えていたが、最近はそれがいつにもまして湧き出していた。
それと同時に、イラストのために人体構造を勉強したい、また、身体をイメージするための資料が欲しい、という考えに至った。 そのために、解剖学資料を探すことにした。
美術解剖学の資料が図書館で入手しづらかったため医師・医療従事者向けの解剖学書を読むことにしたが、 所蔵の解剖学書が本当に多く、どれが一番自分の目的に合致するのか分からなくなってきた。
まず形から入る自分としては、とりあえずいくつか図書館で読み比べてみて、そこから良さそうな一冊を選んでいくことにした。
このようにして、あくまで美術解剖学テキストの補助資料としての本格的解剖学という考えのもと、美術解剖学テキスト自身も交えながら解剖学書をいくつか探ることにした。
(解剖図を扱うので、若干閲覧注意)
内容
スカルプターのための美術解剖学
テキストは最小限に、アトラスとしての性質が強い美術解剖学書。
記述は筋肉に特化し、筋肉の体内での付き方よりも表面への現れ方を重視して、
写真とCGによって運動を段階的なアングルや時間で対比的に描き上げている。
反面、骨の解説がほとんどないため、特に骨を基準として描き始める人は、解説を補うアトラスを別に要するだろう。
プロメテウス解剖学アトラス
初版が2004年~2006年にかけて刊行された、比較的新しい解剖学書。 3分冊の圧倒的ボリュームで、「アトラス」と銘打ってはいるがアトラスとテキストを融合させている。
コンピュータグラフィクスを用いた精緻で美麗な図が特徴的。
特にレイヤーを次々と取り払って浅部組織から深部組織まで対比させた図は本書の先進的な美しさを体現しているだろう。
図表をまとめて再編集した「コアアトラス」や 1冊に再編集した「エッセンシャルテキスト」1 手のひらサイズで解剖学用語をチェックできる「コンパクト版」など 様々な姉妹書が登場している。
さらに二章に3分冊による圧倒的物量であり、 『グレイの解剖学』にも匹敵するふんだんなページ数によって 組織学や生理学、運動学や発生学といった周辺知識をも取り入れながら濃密な学修が期待できる。
また、余白を大胆に配したレイアウトや、穏やかな色彩の図表により、視覚的な負担が小さい。
しかし、和訳版は電子版が発売されておらず2、普段使いには厳しい重さの物理本の使用を余儀なくされる。
予算や部屋のスペースが許すならば導入を検討してもよいだろう。
グラント解剖学図譜
Chubb氏による剖出標本の木版画を用いてGrant教授が1943年に初版を出版した解剖学アトラス。 時代が下り版を重ねるごとに、様々なイラストレーターが参画しているが、大半の図はChubbによるイラストを彩色したものである。
体表解剖(体表から見える身体の部位を扱う解剖学)図が豊富で、自分の身体と照らし合わせながらイメージしやすい。
図の正確さが強みであり、特にChubb氏の図は剖出したままを克明に描写している。 体表から人体深部の構造までを滑らかに、細かい循環器や神経の管に至るまで忠実に描き出す図は圧巻である。 そのため、構造を模写する一次資料としては高く信頼できるであろう。
姉妹書として、演習書『グラント解剖学実習』も刊行されている。
グレイ解剖学(Gray's Anatomy for Students)、グレイ解剖学アトラス
19世紀から続く伝統と権威ある『グレイの解剖学』(Anatomy of the Human Body)を学生向けに再編集したテキスト。 アトラスは、このテキスト内の解剖図をより詳細に描き改めて集めたものである。
この再編集版は初版2004年と比較的新しく、プロメテウスと同様に図の作成にCGや医用画像が用いられている。
ただし、こちらのCGはプロメテウスよりも模式的で、色鮮やかである。
ボリュームこそ多いが、周辺学問の知識は他の優れた専門書に任せて解剖学にのみ集中することで、テキストの質を確保している。
重要事項はあえて重言し、箇条書きを避け流れるような文章で書く、というような、文章を平易に見せる工夫がなされている。
グレイの解剖学(Anatomy of the Human Body)
『グレイの解剖学』自体は19世紀1858年から現在(第42版が2021年に発行)まで改訂を重ねながら連綿と受け継がれている。 現在単一で1606ページを数える大ボリュームの解剖学書であり、英語できわめて専門的な内容に踏み込まれた書であるという。
一方で、1918年の第20版など大昔に発行されパブリックドメイン[^2]となった版が、
(出版から100年以上経過した情報ではあるものの)Webサイトから自由にアクセスできる。
イラスト解剖学(松村讓兒)
初版は1997年。第9版でカラー化された、ユニークで親しみやすい図が特徴的なテキスト。
ユーモラスな序文、1ページ完結な構成、ユーモラスな図や巻末の語呂合わせ集3といった、
初めて解剖学に触れ膨大な解剖学用語の記憶を強いられる学生への親しみやすさが随所にみられる。
初版からページ数が徐々に増していき、今や初版のほぼ倍、900ページを超える。
まとめ
解剖学は、膨大な事項と、そのそれぞれが持つさらに多くの副事項(たとえば、筋肉の起始停止位置や支配神経、関節の接続関係)によって、 多元的に莫大な記憶を強いられる。
そのため、ある書物では図を一新して文章を平易にしたり、別の書物では記憶術まで含めて掲載したり、 分冊して記述量や資料を増やしたり、と様々に工夫が凝らされている。
ひとくちにわかりやすいといっても、医療従事者、芸術家、学生、それとも門外漢、など身分も目的も異なる複数の立場から見れば それだけわかりやすさの条件が異なる。
どれを使っても解剖学の基礎的な知識は得られるはずであるから、門外漢にとって残る基準は、 絵師の好みやテキストの好みだったりするのだろう。
補遺
プへの質問
知人のイラストレーターに解剖学書のオススメを訊いてみた。
人体構造の勉強は『ソッカの美術解剖学ノート』という本で行いました。
この本は図書館でなかなか閲覧できず内容がとても気になっていたが、このアドバイスを機に一念発起して買うことにした。
ソッカの美術解剖学ノート
韓国のイラストレーター、ソク・ジョンヒョン(Stonehouse)による、主に運動器の構造を、 コミカルな漫画と洗練されたイラスト、流動的なテキストを用いて解説した美術解剖学テキスト。
運動器の構造を動物の進化や道具の設計に準えて、読者に考えさせながら演繹的に解説している論調である。
また美術解剖学らしく、キャラクターを表す人体比率の指南や、骨格形状の抽象化法など美術への応用に役立つ記述が多い。
私の本来の目的である美術への応用に照らし合わせると、医療解剖学の知見からその応用に至るまで非常に網羅的に解説してくれる、まさに決定版と言える書物だろう。
アドバイス続き
ただ最近、人体構造についての詳細な理解はイラストを描く上では必要ないのではないか、とも思っています。...... イラストを完成させるという目的においては、......内部構造から精密に組み立てるよりも、関節から関節へと「それらしい曲線を引く」ことの方が近道だと思うからです。 また、その「それらしい曲線」を描くためのヒントは、他のイラストを参照する(模写やトレスをするとよく観察できます)ことで十分得られると思います。......
もしかして、解剖学書それも医学向けの書物を漁るのに躍起になる必要はあまりなかったのでは?
締め
……解剖学は単に書物やDVDのみによって学習することは不可能であり、ご遺体を自らの手で解剖することによって初めて実際的な知識を身に付けることができる。 学生諸君は、解剖学実習に可能な限り多くの時間を費やすべきであり、……(グレイ解剖学アトラス 第2版, p. vii)
ある意味、資料を読み込むだけで実体験(美術では実際にイラストを描くことだろうか)を積まないで頭でっかちになる、 ゲーム界隈でいうところの動画勢の状態に陥っていたのかもしれない。
ともかく、これからの勉強の方針としては、
- モデルを構築するよりも実際の現象や既存のイラストを観察すること
- 解剖学をいきなり覚えるよりも実際に手を動かして練習すること
という方策を優先すべきだろうし、そうしていこうと思う。